承認欲求の落とし穴
私は、承認欲求が強い人間だ。認められたいという気持ちが強い。
去年夫から離婚を切り出された。それがショックでショックで辛かった。自分が今までやってきた事、人格を否定された気持ちになった。
あるカウンセラーさんら、「それって、旦那が持ち出したナイフを奪って、自分で自分を刺したような状態だね」と言われた。
夫婦関係が良くなるようにと思っている今も、ショックがふと蘇って、悲しくなり、夫の事を愛する気持ちが萎えていく。
「夫が私を見限った」と思って、勝手に傷付いて、愛する感情を失わせていく。
夫は「今のままの関係で過ごすのが辛い」という表明をしただけ。私を否定しにかかったのではない。
そこを取り違えてはいけない。
相手に認められたいという「欲求」が強すぎると本当に大切にしなければいけない事を見落としてしまう。
夫の感情は夫のものとして、私は私で、やれる事をやっていくんだ。夫が好きだということを100%素直に表現していけるようになるんだ。
今までは、自分が人に認められてないと自分の価値がないと思いこんでいた。でも、自分で自分を認めれば1番楽だし、もっと夫を認められるようにもなるはず。
これからはもっと自分の気持ちを素直に表現していけるはずだ。
母の3年目の命日に思うこと。
去年の同じ時期の自分の記事を見てみませんかという、このブログからのお知らせで、一年前の文章を読んでみた。
自分の気持ち、考え方って、1年でもだいぶガラッと変わるもんだなと思った。
1年前、つまり母が亡くなって2年経った頃。
その時は母が恋しくて、まだ、母に認められたくて、もがいていた。いつも何かに追われていて、余裕がなくて、他人や世間やあらゆるものから認められたくて必死だった。
その数ヶ月後、夫から別れたい旨の話をされた。
いろいろ苦しかった。よく、この期間を過ごしてきたと思う。
けど、今年に入ってから夫のしてくれた事を洗いざらい書き出していくうちに、私は夫が好きなんだと再認識した。意識するとそうなれるもんだと気付いた。
昨日や今朝も夫の気持ちが変わってないらしいことに対してすごく悲しくて苦しかったけど、頼れる人にメールして、半日過ごす中で、
「夫の気持ちばかりを頼みにせず、自分には夫が好きだという信念のようなものを大切にすればいいんだ」
と、気持ちが切り替わった。これは、一つの強さなのかもしれない。
そんなふうに思えた母の命日だった。
母が漬けた梅酒から出した梅を、ずっと冷蔵庫に入れて捨てられずにいたけど、
「母を思う気持ちと、私の生き方は別でいい」
と思えたことで、捨てる決心が付いた。
可愛い袋に入れて、さよならしようと思う。
「ありがとう。お母さんは本当によくがんばったよね。本当にお疲れ様。」
という言葉とともに。
重要かもしれない、気付いたこと
今日、夫婦問題やHSPを扱うカウンセラーの堀田おさむさんという方のインスタライブをたまたま見ていた。
その中で、
「自分を愛せると、心に余裕が出てくる。」という言葉があった。
それを思い返していると、「余裕、確かに今までなかったな。なんで余裕がなかったのか。」と自問自答してみた。
すると
「認められたかったから」
という答えが浮かんだ。
視界が開けた気がした。
ほんとだ。私は、何かから認められたくて、必死になってた。
その気持ちが、若い時は原動力となり、努力だったり、上を目指したりできていた。
でも、だんだんと「認められる事」がうまくいかなかくなったり、自分が燃え尽きたりうつになったりした時に、挫折感に打ちのめされるようになった。
そもそも、「認められる」ためだけに生きるって、しんどすぎるし、終わりがないし、虚しい。
確かに、承認欲求って当然あるものだけども、認められるためだけに生きたくはないし、心がカスカスになりそうな気がする。
まだ大丈夫。気付いたのだから。
まだ、遅くはない気がした。
でもそれに付き合わされてきた夫はいい迷惑だったよね。
年末。
クリスマス、年末。
この時期を、こんな辛い思いで過ごしているのは、私だけだろうかと思ってしまう。
年末年始、子ども達と実家に帰って数泊。泊まるためにいろんな準備をしたりせなあかん。そんな事もする気力がない。
年末の1日だけ日帰りで帰ると父にメールをすると、電話がかかってきた。
いつもは年末年始を実家で過ごすのに、向こうの実家に行くからか?旦那は最近あまり会わないけど元気にしてるのか?
と、何も知らない父は聞いてきた。
私は何もない風に元気にしてるよ、と答えた。
電話を切ってから、猛烈な悲しみが押し寄せてきた。辛すぎて、もういっそ父に今の状況を伝えてしまおうかと思った。
でも、それを父に言うともう夫は二度と帰ってこない気がして、何とかやめた。
離婚になっても仕方がない。その後はこうしよう。などと考えたりしてきたけど、一周回ってすごく辛い。悲しい。
涙が止まらない。
そんな私にも子ども達は遠慮なく絡んでくる。それが救いでもある。
子ども達はまだ何も知らない。
知ったらどう思うのだろうか。
その無邪気さは無くなってしまうのだろうか。
子ども達よ、親の私のわがままだけど、どうかこの事実を知っても、無邪気でいてほしい。
世界一の幸せ者になってほしい。
つらい。苦しい。
夫のメールに、「今のところ気持ちは変わってない。」ということが書かれてあった。
それって、離婚の意思は変わってないってことでしょ。
つらいなぁ。
もう一家団欒はできないのかな。
温かい家庭を取り戻すのは無理なのか。
それを見てやっぱり動揺した。
でも
揺れてもいい。
自分の気持ち、相手の気持ち。
今は、そういう気持ちなんだから。
落ち込んでもいい。
仕方ないよね。
どうしてこうなった?
離婚話…なんでこうなってしまったのか?
ずっと疑問に思ってきた。
ふと今日、少し納得できる理由が浮かんだ。
「お互いに、お互いを思いやれる余裕が持てなかったから。」
そういうことなんだろうな。
気持ちの余裕と、人を思いやれる寛容さ、これがない。
これがほしい。