「努力」も人それぞれ。
「努力」と聞くと、どんなイメージが湧きますか?
だいたい、「目標を決めて、それに向かってがんばって達成する」のような感じでしょうか。
私は子どものころから「努力」することが良いことだと疑いもせず、やってきた気がします。
努力することは良いことで、誰も止めませんし、褒めてくれます。
学生の頃はテストや部活、社会人になったら仕事。「努力、努力」と言われます。
でもこの常識のような「正しい」言葉は、本当にその人それぞれにとって、その人らしく生きていくためになるのでしょうか?
私は必ずしも、そうではないと思います。
その人にとって、親から言われたからとか、みんながそうだからとか、しなければいけないと思うから、という理由で努力すると、達成感はあっても、後で苦しくなります。虚しくなります。
どこまで努力しないといけないのだろうか?
これを続けて何のためになるのか?
そんな思いが、心の奥に沈殿しています。
割り切っていける人は大丈夫です。
でも、その沈殿した思いに嘘をつけない人もいます。我々のようなHSPの人たちです。
じゃあ即転職するだの、親を無視するだの、という話ではないです。
自分の本心を、自分がまず分かってあげる。それだけでも、違います。
上の話は、私の話でもあります。
努力神話に翻弄されていました。
そうする事が自分を守る術だったのです。
けれどまず、30代に入りただ努力することは無理になって、今までやってきた何もかも嫌になりました。そこでカウンセリングを受けました。
そこから、やっと自分がどういう気持ちなのか、どういうペースが自分に合っているのか、を感じ始めました。(歳を取るのも悪くないね)
「これまでの人生、棒に振ったような気がする」と愕然とした気分になる時もあります。
でも、まだ間に合う。
気付いた事で、始まっていくから。
「待つ」ということもその人にとっての努力だと思います。