思い出す自分の黒歴史
昨日息子の運動会のことを書きました。
彼の成長を見て、とても感動し、良かったなぁと思っています。
でも、何か心にモヤモヤが…
たぶん、このことかな?と思う事があります。
運動会の最後、年長組のリレーがありました。
最後のトリ、とは言っても5人対5人の、ささやかなリレーですが、本人たちはどの順番で走れば勝てるか相談したり、真剣です。
うちの子は一番手になりました。対するチームの子は1番背の高い子です。足も速そう。
ヨーイドン!で始まりました。
2人はほぼ互角でしたが、相手の方が少しだけ速かった。うちの子は負けまいと必死で、インから抜かそうとしました。
おいおい、それはちょっと…
インから抜こうとするので妨害しているようにも見えました。
ちゃんとしたルールというのをわきまえてはなかったのかもしれません。
同時ぐらいにバトンを渡しました。
結果、そのせいでというよりは、相手チームのバトンパスが遅れたりして、うちの子のチームが勝ちました。
うちの子と走った背の高い彼は、悔しくて、運動会が終わった後もポロポロと涙を流していました。そのひたむきさに感動しました。そんなに真剣にこのリレーに取り組んでいたのか、と。
同時にその子に対して、うちの子があんな風にしてごめんねと、申し訳ない気持ちにもなりました。
うちの子は勝ったのもあってリレーが楽しかったようです。
私はあえて「インから抜こうとしてたやろ」
とか、そういう事は言いませんでした。
それは彼の体験でしたが、なんか私が後ろめたいような気分になりました。
というのも、私が小学校の徒競走の練習をしていたときの思い出がよみがえったからです。
私と男の子が競争をしていて、私は負けそうだ!と思い、彼をわざと突き飛ばして、自分が先に行こうとしたのです。
それを今でも覚えています。
相手を蹴落としてまで、自分が先に行きたい。
勝ちたい。
なぜそんな事をしたのか…
たぶんですが、私は、自分のみっともないところ、できないところ、弱いところを許せなかったんだと思います。小学生の頃から。
そんなところを見ないようにするか、何がなんでも「できる自分」をつくりあげなければいけない、そんなプレッシャーがあったような気がします。それは大人になっても続いていたと思います。
そうしないと、自分が保てないような、崩れていくような怖さがあったんだと思います。
今の自分は…
うつになったり、悲しみのどん底にいたり、無気力で何もやる気がおきなかったりするけど、少なくともそういう「人を蹴落としてまで相対的に自分を上げないといけない程のプレッシャー」はないと思います。
今は、「自分がホッとするには?」という基準で過ごそうとしています。
ほんの1つのささやかな出来事だけど、そんな事を思いました。