「悔しい」という感情
「悔しい」という感情。これ、かなり強烈なものだと思う。
心理学でよく引き合いき出される「酸っぱい葡萄」の物語。
あるキツネが、木においしそうなぶどうがなっていることにきがついた。けれども、キツネの背丈ではどうしてもとることができない。悔しいキツネは「あれは酸っぱいぶどうだから、だれが食べてやるか」と言って去っていった。
おおよそこんなような話だが、これは心の「
防衛」という働きだと心理的に説明される。
しんどい気持ちをどうにかしようとする心の機能だ。
私は、子どもの頃から「負けず嫌い」だったと思う。いとこたちからは私はプライドが高いと言われていたそうだ。
負けず嫌いは消して悪いことばかりではなく、何かをやろうとするモチベーションになることはわかる。けれど私の場合はそれが「失敗してはいけない」という方向にいってしまっていたようにおもう。自分を追い詰めるようになった。
理屈をつけたりして、自分を縛り付けていた。自分で自分を苦しめていた。
なんでそんなことをするのか。
なぜなら、「悔しい」という感情はとても強く、それを味わいたくないから、どうにかして回避しようとしていた。優等生のようになろうとしたり、大人の顔色をみたり。
自分の感情に敏感でそれを回避したかったから。
あのキツネも、繊細なやつだったのかもしれない。
自分の感情を否定せず、回避したり隠したりしないで、ていねいに扱ってあげたらいいんだよ。
と、キツネと以前の私に言ってあげたい。