2歳の意志と意欲
私は今、意欲がない。めんどくさい。じっとしていたい。休みたい。
けれど、2歳の娘を見ていると、対照的だ。
何でも自分でしたがる。
自分でご飯をよそいたい。ジュースをコップに入れたい。靴をはきたい。ジャンパーのチャックを上げたい。ベビーカーのベルトをセットしたい。
ほとんどが失敗する。うまくできない。けれども自分でやろうとする。もしやってやろうとすると激怒する。手伝って、と言われるまで手出しができない。
そして、意志がものすごく強い。
今、お風呂には入りたくない。かと思えばお風呂から出たくない。まだ遊んでいたい。今日はこれを着ていく。晴れの日でも長靴をはきたい。
大人の理屈なんて関係ない。やりたいからやりたい。やりたくないからやりたくない。
親からすると全然事が進まないので、正直うんざりする。しかし付き合わざるを得ない。こっちが耐えかねてキレることもしばしばある。
逆に、ふと考える。
このあふれる意志と意欲を大人が押さえつけるとしたら、どれだけ強権を発動する必要があるのだろう。
めちゃめちゃ怒鳴る?怒る?
甘いお菓子で釣る?
すさまじいほどのアメかムチが必要な気がする。
そんなことをしたら、ひんまがってしまうだろうと、容易に想像がつく。
そしてひんまがってしまったのが、私である。
記憶にはないが、きっと私の2歳はそんなんであったろう。
後々の記憶にはあるところでは、私の母親はたいてい余裕がなく、イライラしていて、よくキレていた。
もちろん、子どもの頃よく絵本を読んでくれたり、おやつパーティーをしたり、いい思い出もある。
けれども、親の強権で意志と意欲を押さえつけられ、ビビリながら親の意向に沿うようにしてきたのだろう。
すべてめんどくさい。わたしが何かしようとしても、どうせ妨害されるんでしょ。何かしたいと言ったり、本音を言ったら怒られるんでしょ。
お金がなくなることを恐れる。人に何を言われるか恐れる。人がいい思いをしているのが悔しい。うらやましい。
大人になっても、2歳の恨みと恐怖を引きずっている。
今私はそれがわかった。娘を見ていて。
本当に残念に思う。悔しい。
けれどそれがわかったことが第一歩だ。
そう思うしかない。