HSPをケアする

子育て中のHSP、しんどいです。敏感な人の居場所。

母と信仰と私

このテーマはあまり書いてないと思うので、書いてみたいと思います。

私の母は2年前亡くなりました。自分にも人にも厳しく、信仰を貫き通しました。

母の信念は、「信仰の正しさを証明するために生きる」。自分の振る舞いや仕事など、模範的な人生を送るということです。それが、「実証」といいます。母は口を開けば「実証を示さなければ。」でした。亡くなる前までそうでした。

私も、小さい頃から母に習い信仰をしてきました。家族のような同志の中で、自然と信仰心が湧きました。

しかし、30代になり出産した後から、もう今までのように熱心には信仰できないと思いました。母みたいには無理だと。

それでいいと思いつつ、何故か、積極的に信仰活動ができないことにすごく罪悪感を抱くのです。

どうしても、その罪悪感や焦りのようなものが拭えない。苦しい。本当に苦しい。

どうしたらこの苦しみから楽になれるのか。

 

私は、母のことをとても愛していたんだと思います。愛しているから、その愛している人のしていた信仰ができないと、罪悪感を覚える。

そして、愛する人に喜んでもらいたいから、信仰をもっとやる。やらなければ。

 

でも、母はもういない。

だから、その愛を今度は自分に向けてあげよう。信仰は捨てなくてもいい。大切なものだよね。心にそっと持っておけばいい。積極的な活動をしなくてもあなたは実証を示している。もう背負わなくていいよ。もう十分頑張っているじゃない。生きているだけで、実証なんだよ。

 

そんなように、もし同じ信仰を持っている人が同じように苦しんでいたら、どう声を掛けるか、それを考えていこうと思います。そして、その言葉を自分にまずかけてあげよう。